2012年 01月 31日
活動報告書
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昨日は雪道(と言うよりは凍結路面)に気を使っていたためか夜10時には会社を出て、久し振りにゆっくり布団の中で休ませて戴きました。今日から活動報告書作成を、と思いましたがさすがに月末で慌ただしく、切りのいい2月1日から始めます。目標は2月5日発送!今回も盛りだくさんの写真を取り入れたいと思います。今回は配布会を行った場所以外に、気掛かりな所へも立ち寄りました。
大船渡と釜石の間にある唐丹(とうに)、そして南三陸町の志津川地区です。いつも走る国道45号線から見える海岸線の地区ですが、建物が全て流され、屋根が無くなった建物が震災以後もずっとその姿のまま残されている場所。壊滅的な被害があった志津川地区。ここは家どころか人がいないんです。わずかに復旧作業をしている工事関係の業者さんがいる程度で、住人はいません。いつになれば戻って来る日が来るのやら・・・。
今まで何度も報告書で紹介した山田町の老人介護施設。そう、屋根の上にポルシェと船が残されていた建物ですが、跡形もなく撤去されていました。道中、至る所で店舗や会社、住宅の建設工事が進んでいます。瓦礫の山も少しずつ減ってはいますが、その一方で唐丹や志津川のように全く変わり映えしない地区もあります。詳しくは知りませんが着工の許可が出ないのが一番の原因だそうです。自分の土地に手を出せないもどかしさは言葉では言い表せないと思います。だからか、あちらこちらの更地に仮設のプレハブや手作りの小屋、テントを置いている所がありました。これなら役所からクレームがあっても「建築物」じゃないから強制は出来ませんよね。その気持ち、痛いほどわかります。
自分の土地をどうしようが文句は言わせない、そんな気持ちでしょう。その気持ちを汲み取れない政府・国はどうなってるんでしょうかね。この冬、例え一晩でも霞ヶ関のお偉いさんが仮設住宅に泊まればもっと早い対応をするのでは、と思うのは私だけじゃないと思います。
唐丹の駅前から海岸の風景
南三陸町/志津川。3階建てのマンションの上にまだ乗用車が・・・
志津川町の風景
続きは報告書にて。
大船渡と釜石の間にある唐丹(とうに)、そして南三陸町の志津川地区です。いつも走る国道45号線から見える海岸線の地区ですが、建物が全て流され、屋根が無くなった建物が震災以後もずっとその姿のまま残されている場所。壊滅的な被害があった志津川地区。ここは家どころか人がいないんです。わずかに復旧作業をしている工事関係の業者さんがいる程度で、住人はいません。いつになれば戻って来る日が来るのやら・・・。
今まで何度も報告書で紹介した山田町の老人介護施設。そう、屋根の上にポルシェと船が残されていた建物ですが、跡形もなく撤去されていました。道中、至る所で店舗や会社、住宅の建設工事が進んでいます。瓦礫の山も少しずつ減ってはいますが、その一方で唐丹や志津川のように全く変わり映えしない地区もあります。詳しくは知りませんが着工の許可が出ないのが一番の原因だそうです。自分の土地に手を出せないもどかしさは言葉では言い表せないと思います。だからか、あちらこちらの更地に仮設のプレハブや手作りの小屋、テントを置いている所がありました。これなら役所からクレームがあっても「建築物」じゃないから強制は出来ませんよね。その気持ち、痛いほどわかります。
自分の土地をどうしようが文句は言わせない、そんな気持ちでしょう。その気持ちを汲み取れない政府・国はどうなってるんでしょうかね。この冬、例え一晩でも霞ヶ関のお偉いさんが仮設住宅に泊まればもっと早い対応をするのでは、と思うのは私だけじゃないと思います。
唐丹の駅前から海岸の風景
南三陸町/志津川。3階建てのマンションの上にまだ乗用車が・・・
志津川町の風景
続きは報告書にて。
by yokkaichi-exp
| 2012-01-31 19:33