2011年 12月 31日
大晦日も午後3時を過ぎました。今年は何故か「年末」という感覚が無く、昨日も報告書作りや
自分の机の整理などをし、今日も会社に祀ってある神棚の掃除と供え物の準備などしています。
昨年は父が亡くなったこともあって年賀状も神棚もご無礼していたんですが、今年は最後までバタバタして、気が付けば年賀状すら作っていない!こんなことでは来年が思いやられます。
一昨日の深夜、Y社長とその友人M君が物資を積みに当社へ来てくれ、愛媛のKさん、Tさん、Yさんから最後に送って戴いたミカンやレトルト食品と衣料品・陶器などを積み、東北へ出発しました。
昨日の朝、浜松凧有志の会Tさんに急遽応援要請をした洗濯機・冷蔵庫・電子レンジなどを頂戴し、
今朝は宮城の加美郡でNPOさんから毛布・防寒服を分けてもらい、一関で昨夜夜行バスで追いかけた県庁職員Mさんと合流、本日昼頃に陸前高田に到着、おそらく今頃はNPO法人「あんしん生活}のTさんの案内で仮設住宅を回っていることと思います。気持ちは彼らと同行しているんですが、今年はかなり協力・我慢してくれた家族がいますので三重からエールを送っています。それにしても、
Y社長たち「花の独身3人衆」、年末年始に活動してくれるのも有難いことですが、その一行を
受け入れてくれた現地の皆さんの心の広さにひたすら感謝する次第です。明日は恐らく今年仲良く
なった大船渡のFさん宅でお雑煮でも戴くんでしょうね。本当に最後の最後まで多くの皆さんの
ご協力を戴きました。重ねて心から御礼申し上げます。
そう言えば、今朝の地元紙「中日新聞」に、宮城の全壊の神社の記事が載っていました。何気なく写真を見たら・・・何と、23日に亘理で祭壇の納入に立ち会って戴いた八重垣神社のF宮司さんです!Fさんが宮司を務める山元町の八重垣神社も全て流され、7月頃に東京の団体からプレハブの社務所が提供され、その後小さな社殿が祀られて、初詣の人を迎えられるとの内容でした。偶然とは言え、800km離れて一度しかお目に掛かっていない方の新聞記事が地元の新聞に載るとは・・・。
まさに神がかりです。(こちらから運んだことは取り上げられなかったのに・・)
どのような状況であれ、新年は誰しも神仏に手を合せ、一年間の無病息災を願います。それは復興地であれ、それ以外の地であれ厳粛な気持ちで行われます。昨日、「わすれない」という番組を少しだけ見ました。自分たちが訪れた土地が壊滅・消滅していく様子が生々しく記録されて思わず目をそむけたくなりました。仮設住宅のおじいちゃんが、お盆に亡くなった孫を迎える「迎え火」のシーン、アマガエルを見つけて「あの子を連れて来てくれたんか」という場面では涙が出ました。正月を迎えようというこの瞬間でも、未だに行方不明になっている家族を気遣う方、迎えに来て貰えない身元不明の亡骸、まだまだ3月から時計が止まったままの方もたくさんいらっしゃるようです。今、自分がこうして新年を迎える準備をさせて戴けることは本当に幸せなことなんだ、と例年になく丁寧に作業しています。
来年がどんな年になるかは解りませんが、「今年よりも良くなろう」という気持ちで頑張ります。
自分の机の整理などをし、今日も会社に祀ってある神棚の掃除と供え物の準備などしています。
昨年は父が亡くなったこともあって年賀状も神棚もご無礼していたんですが、今年は最後までバタバタして、気が付けば年賀状すら作っていない!こんなことでは来年が思いやられます。
一昨日の深夜、Y社長とその友人M君が物資を積みに当社へ来てくれ、愛媛のKさん、Tさん、Yさんから最後に送って戴いたミカンやレトルト食品と衣料品・陶器などを積み、東北へ出発しました。
昨日の朝、浜松凧有志の会Tさんに急遽応援要請をした洗濯機・冷蔵庫・電子レンジなどを頂戴し、
今朝は宮城の加美郡でNPOさんから毛布・防寒服を分けてもらい、一関で昨夜夜行バスで追いかけた県庁職員Mさんと合流、本日昼頃に陸前高田に到着、おそらく今頃はNPO法人「あんしん生活}のTさんの案内で仮設住宅を回っていることと思います。気持ちは彼らと同行しているんですが、今年はかなり協力・我慢してくれた家族がいますので三重からエールを送っています。それにしても、
Y社長たち「花の独身3人衆」、年末年始に活動してくれるのも有難いことですが、その一行を
受け入れてくれた現地の皆さんの心の広さにひたすら感謝する次第です。明日は恐らく今年仲良く
なった大船渡のFさん宅でお雑煮でも戴くんでしょうね。本当に最後の最後まで多くの皆さんの
ご協力を戴きました。重ねて心から御礼申し上げます。
そう言えば、今朝の地元紙「中日新聞」に、宮城の全壊の神社の記事が載っていました。何気なく写真を見たら・・・何と、23日に亘理で祭壇の納入に立ち会って戴いた八重垣神社のF宮司さんです!Fさんが宮司を務める山元町の八重垣神社も全て流され、7月頃に東京の団体からプレハブの社務所が提供され、その後小さな社殿が祀られて、初詣の人を迎えられるとの内容でした。偶然とは言え、800km離れて一度しかお目に掛かっていない方の新聞記事が地元の新聞に載るとは・・・。
まさに神がかりです。(こちらから運んだことは取り上げられなかったのに・・)
どのような状況であれ、新年は誰しも神仏に手を合せ、一年間の無病息災を願います。それは復興地であれ、それ以外の地であれ厳粛な気持ちで行われます。昨日、「わすれない」という番組を少しだけ見ました。自分たちが訪れた土地が壊滅・消滅していく様子が生々しく記録されて思わず目をそむけたくなりました。仮設住宅のおじいちゃんが、お盆に亡くなった孫を迎える「迎え火」のシーン、アマガエルを見つけて「あの子を連れて来てくれたんか」という場面では涙が出ました。正月を迎えようというこの瞬間でも、未だに行方不明になっている家族を気遣う方、迎えに来て貰えない身元不明の亡骸、まだまだ3月から時計が止まったままの方もたくさんいらっしゃるようです。今、自分がこうして新年を迎える準備をさせて戴けることは本当に幸せなことなんだ、と例年になく丁寧に作業しています。
来年がどんな年になるかは解りませんが、「今年よりも良くなろう」という気持ちで頑張ります。
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by yokkaichi-exp
| 2011-12-31 15:42